帽子を取り、偏光グラスを外し、フィッシングベストを脱ぎ、ロッドを幹に立てかけ、ザブザブっと頭から水を浴びた。
その瞬間すーっと熱気を浴びた体の熱りが緩和され生気がよみがえる。
今年の夏は数十年ぶりの熱波に見舞われ日々仕事をしていても集中力に欠け、就眠時は寝苦しい夜が続き、熱中症などにかかり体調を壊す人が大勢いるようだ。
 そんな中、健康だけがとりえの私はなんとか夏バテにも成らずに過す事が出来ていた。
しかし渓流魚たちにも少なからずこの熱波は影響を及ぼしているようである。
昨夜、仕事を終え夜通し走りっぱなしで訪れた山形県のこの里川でもフライを咥えるのはウグイばかりでヤマメはごく稀に顔を出す程度にとどまっている。
「ふーっ。水を浴びると気持ちいい!しかしこう暑くては渓流魚は水温の低い源流域に移動してしまったかな?もっと上流に移動しなくては釣れないかも・・・・」
そう考えている時、山の反対側が濃い灰色の雲に覆われ始めていた。
「なんかやばそう・・・・車に戻らなきゃ」
しかし両側とも高く護岸され道路に上がれそうにもない。
私は川岸を上がれそうな場所を求め急ぎ足で歩き出した。
 その途端、灰色の雲は疾風のごとく近づき大粒の雨が降り出し雷が地響きのように鳴り響いた。
ずぶ濡れになり雷の恐怖に脅えながらやっとの思いで川から上がり車に乗り込んだ時にはすっかり釣りのテンションも下がってしまっていた。
「あ〜あ 仕方ないもう着替えて帰るとするか」
早速着替えた。しかしホテルに行くにはまだ時間が早い。明日の釣りのために
上流を見に行くことにした。

 車を発進させた頃にはまだ昼だというのに山全体が、夕闇に包まれたように暗い。
しかも通り雨だと思っていたが大粒の土砂降りの雨は当分止みそうになかった。
しばらく行くと道は徐々に狭くなり川との高低差もきつくなってきた。
時折、車を止め川を覘いて見たものの下りるのはかなりきつそうだ。
だが川の様子は下流とは違い大きな石が点在し渓流魚が暑さを凌ぐには良さそうな流れである。
「明日はこの辺りで釣ってみるかな・・・・」
そう思い車をUターンさせようと少し広い場所で切り返しをしている時である。
 この土砂降りの中、川に釣り人らしき人影を見たのだ。フィッシングベストは着ていない。
代わりにバックとも呼べない少し大きめのずた袋のような物を肩から掛けている。
しかもウエーダーも履かずに素足なのだ。
この土砂降りの中その人影はフライロッドを流れの中に向かい振っているではないか。
雨霧に邪魔されよく確認できないが、どうやらその人影は左利きのようであった。
しかも驚くことにすぐにロッドが大きくしなりその先端にはかなりの大きさの魚がバシャバシャと暴れていた。
そしてさっとランディング。その動作には全く無駄がない。
私には何故だかその人影からは釣り人というよりは狩をする獣の雰囲気が感じられた。
さらに雨は激しさを増してきたので思わず(危ない!)と声を掛けようと車から降りたが、その人影はまるで忍者のように石の上を跳び渡り、あっという間に雨霧の中へと姿を消したのだった。

 翌朝、目を覚ましホテルのカーテンを開けると未だに外は激しい雨が降り続いていた。
「うーん・・・・これでは釣りは無理か・・・・」
この分だと川は増水し濁流と化し釣りなどとうてい無理だろう。仕方なく荷物をまとめ自宅に戻ることにした。
それにしても・・・・昨日見かけたあの人影が無性に気に掛かる。どんな人物なのかとても興味が沸いてきた。
しかし探すと成るとかなり困難だろう。私は心残りのまま山形を後にした。

 猛暑は8月の下旬に差し掛かってもいまだ衰える気配がない。ビルが立ち並ぶアスフャルトの道路にはゆらゆらと陽炎が映し出されいた。そんな中私は仕事の打ち合わせを済ませ本屋に立ち寄った。
どうしてもあの人影に会いたくて今度はホテルではなくあの山形の里川の近くに旅館がないか温泉旅館を取り上げた本を買い求めるためだ。
「あの川の近くに旅館などあるかな?」
幾つかの本を開いてみたが見つからない。そんな時ふと山形と大きく書かれた旅行雑誌が目に飛び込んできた。
その雑誌を開いてみると先日訪れた川の最上流部の辺りに一軒だけ明鏡流水館という温泉旅館があると記されていた。
「あったあった!ふーん良さそうな露天風呂もあるんだ」
早速、その雑誌を買い求めた。

 仕事を終え自宅に戻った私は雑誌に載っていた旅館に電話を掛けた。
「あの〜明鏡流水館さんですか?」
「はい、そうです」
電話の向こうから少ししわがれた年配の男性の声がした。
「宿泊の予約をしたいんですが。9月の第一週の金、土は空いていますでしょうか?」
「2連泊ですか?」
「はい」
「少々お待ちください」
宿帳らしき物をめくる音が電話越しに聞こえる。
「空いてますよ。何人様でお越しですか?」
「私、一人なんですが・・・・」
「うーん。困りましたね。うちはお一人ではちょっと・・・」
「えっ・・・あの〜どうしてもお宅の近くの川で釣りをしたいので無理を承知でお願いします。」
「そうですか。釣りをしに来られるんですか・・・・じゃ特別にお一人でもいいですよ。私も渓流釣りは大好きですし」
「それはありがとうございます。では宜しくお願いします」
宿のご主人らしき年配の男性に一人でもいいと言われホッとし嬉しかった。今度こそあの川でいい釣りが出来ることに期待を抱いた。そして・・・何故だかあの人影にも会えるような予感がした。

 私は暑さの中忙しく仕事をこなした。が、山形に釣りに行くことを思うと楽しく仕事が出来るから釣り師とは単純である。
そして会社から帰宅し、日々フライを巻く時も心が躍りワクワクした。
明鏡流水館を予約してからあっと言う間に10日が過ぎいよいよ明日は出発する日だ。
忘れ物がないか念入りに確認し早めに就眠した。

 翌日、3時に起床し車に荷物を積み込み自宅を後にした。
首都高を抜け東北自動車道、山形自動車道、を通りインターを降りたころには時計は9時を少し回っていた。
バイパス沿いのコンビニで朝食を買い車の中で食べながら天気予報を聞いた。
幸い前回の釣行とは違い今週末、山形の天候は良好だ。
再び車を走らせバイパスから県道を通り、山の麓の集落を抜け川沿いの道へと出た。
時折、見える川は水量も丁度いい。そして窓を開けるととても気持ちのいい秋風が頬にあたる。
「もうこの辺りはすっかり秋って感じなんだな」
いつしか車はあの人影を見た辺りまで上ってきていた。
私は車を止め覘いて見たものの、何処にも人の気配など感じられない。
ただすすきの穂が涼やかな秋風に揺れているだけだった。
「そんなに簡単に会える訳ないか・・・・」
しかも土砂降りの中釣りをする姿を見ただけで顔は全く分からない。
私は再び車に戻り、明鏡流水館を目指した。

 川沿いの右手に看板を見つけたのは川の源流部辺りに成ってからだった。そしてその看板に従い右折するとやっと車が一台通れるくらいの急な坂道に入った。幾つかカーブした道を抜けると旅館の入り口へと出た。
そこに駐車場を示す矢印が有ったのでそれに従い車を止めた。
そして荷物を降ろし中へと入った。
「ごめんください」
問いかけると
「はい。いらっしゃいませ」
電話で聞いたしわがれた男性の声が奥から聞こえすぐに現れた。
「予約した・・・」
「はいはい。釣りをなさる方ですよね。お待ちしておりました。おい!修作!お客様の荷物を部屋まで運んでおくれ」
すると奥から大柄な若い男が現れ何も言わずに私の荷物を担ぎ廊下を歩き出した。
「こらっ!修作!いつも言ってるだろっ!ちゃんとお客様にご挨拶しなさい!」
その年配のご主人らしき男性の問いを無視して修作と呼ばれた男は無言のまま奥へと入っていってしまった。
「いいですよご主人。気にしないでください」
私がそう言うと照れくさそうに
「あれは私の孫なんです。5年ほど前に両親と東京に旅行に出かけた時、交通事故にあってしまいまして、その時両親を亡くしてしまったんです。修作はなんとか助かりましたがあの子はその時の事故で利き腕の右手を失くしてしまって・・・・働き先など見つけられないと私がこの旅館を手伝わせているんです。あっ、お客様に余計なこと言ってしまって申し訳ありません。ただ根は良い子なんでつい甘やかしてしまって・・・」
「そうなんですか・・・・ご両親を事故で・・・・」
私はその場で何かいい言葉はないか探してみたが見つけることが出来なかった。
「まあうちは私と家内と数人の従業員でやってる小さな旅館ですが、好意にしてくださる方々が結構いますので何とか食べられるくらいの商いをさせて頂いてます。あっ、立ち話させてすいません。お部屋の方へどうぞ」
ご主人に案内させ部屋へと通された。
部屋は趣きがある落ち着いた雰囲気でいい感じた。窓から広がるブナの森も釣りの気分を高めてくれる。
「そうそう、この辺りの川は餌はミミズか川虫を川で取るかですね」
「いいえ。私はフライフィッシングという毛鉤釣りなので餌は使いません」
「おお、フライですか。実は修作も以前は餌釣りやテンカラをやっていたんですが今はフライが大好きで。
よかったらあいつにいい釣り場に案内させますよ」
「えっ、本当ですか!?それはいい。是非お願いします」
きっと地元の彼ならいいポイントを知っているに違いないと淡い期待を膨らませた。

 その日はロングドライブの疲れもあり次の日の釣りに備え、秋風に吹かれながら散歩したり、草の上に寝転んで本など読みながらのんびりと過した。
そしてゆったりと露天風呂にも浸かって部屋へと戻った。
「お客様、夕食の支度が出来てますのでどうぞ食堂のほうへ」
「はい分かりました。今行きます」
女中さんに案内され食堂に向かった。
中に入ると風情のある囲炉裏があり、そこにイワナや山芋などが串に刺され焼かれ、中央には美味しそうな鍋料理がふつふつと湯気を上げている。そして地酒が瓶のまま座椅子の脇に置かれていた。
「鹿肉の味噌鍋でございます。お味はちょっと濃い目ですが、これがまたこの地酒に合うんですよ。」
女中さんが鍋の蓋を開け、そして地酒をそそいでくれた。
その地酒は癖がなくいい香りとともにすーっと口の中に広がりとても飲み心地がいい。
出来上がった鹿鍋も沢山の野菜の旨みを含み絶品だ。
そんな料理を堪能しているところへ大きな影が現れた。ご主人の孫の修作である。
「あんた、フライをやるのか?」
その声は低くそしてぶっきらぼうだ。
「ああ。始めてからかれこれ20年くらいになるかな」
「ほーっ。20ん年ね・・・・だけど都会の釣り師はかっこばかりで腕のいいやつに出会ったこと一度もねえ。あんたそうだろ!」
「そうか。かっこばかりか。そうかも知れないな。だが俺は違うぞ!」
「ふん。あんたら都会のやつらはみんなそんなこと言う。だが今まで何人も勝負したが誰も俺に敵う奴はいなかった。あんたもきっと俺には敵わない!」
こんなところでこの若者に説教したところで何も始まらない。
しかし彼は都会が両親を奪ってしまったと思っているのではと、私はふと感じた。
「そうか。じゃ俺と勝負するかい?」
「・・・・・・・いや 爺ちゃんにあんたをいい川に案内してやれと言われてるからな・・・・・」
「いいよ。気にするな」
「そうか・・・・ じゃ明日はガイドに専念する。明後日はあんたと勝負だ」
「分かった。明日はガイド頼むよ。そうだな・・・・出発は5時にしようか」
そして私はイワナの塩焼きをほおばりながらにこっと笑って見せた。
それに対し修作はこわばった顔つきで私の前から立ち去った。

 翌朝、修作は約束通り5時に私の部屋に迎えに来た。
「おっさん、用意出来てるか?」
「おいおい。昨日はあんたで今日はおっさんかよ。まあいいか」
修作は私の荷物を担ぎ(早くしろ!)とでも言いたげに外へと行ってしまった。
そして荷物を車に積み込み私達は出発した。

「ところで修作くん、君の釣り道具は積んだのか?」
「ああ。それから修作くんはやめてくれ。シュウでいいよシュウで」
「分かった。それでシュウ、俺が運転するんだけら道教えてくれ」
「分かった」
私は修作の指示に従いひとつ山を越えた反対側の北斜面の川へと車を走らせた。
そして川が見え始め緩やかな下り坂に差し掛かった時である。
「もうすぐ車を止められる場所があるからそこに止めてくれ」
「はいはいっと」
 それらしき場所を見つけ車を止めた。そして川を覘いた。そこには大きな石が点在する素晴らしい流れがあった。
カワセミが数匹飛び交い、たまに小さな渓流魚をくちばしで捕らえ石の上でついばんでいる。川が生きている証だ。
私達は早速釣りの支度に取り掛かった。その時である。私は修作の着替えた姿を見て驚きハッとした。
修作のその姿は以前、土砂降りの中で見かけた人影のものだったのだ。
大き目のずた袋に素足、そして手にはフライロッド。
「まさか・・・・シュウとはな」
「なんだよおっさん。じろじろ見て」
「以前、土砂降りの雨の中お前を見かけたんだがすっと気に成っていてね。それがシュウだと分かってなんだか嬉しくて」
「ふーん・・・とにかく早く川に下りるぞ!」
「はいはい。分かりましたよ」
二人は川へと下り釣り始めた。
シュウは遠慮しているのか、邪魔にならない少し離れた場所から私の釣るのをじっと見ていた。
そして私はフライラインを秋風に乗せアプローチし型のいいヤマメやイワナを釣り上げた。
「おっさん、まあまあやるじゃないか」
「誉めていただいてありがとう。今度は俺にシュウの釣りを見せてくれえよ」
「ああ。じゃどいてくれ」
「はいはい」
二人は位置を入れ替わった。修作は流れの脇で体勢を低くし川に近づいた。
その時の彼の目は釣り人のものではない。狩をする瞬間の鋭い獣の目だ。
そして左手一本で見事にフライラインを伸ばしながらキャストし、次々と型のいいヤマメやイワナを釣り上げながら上流へと移動していった。その速さに私はやっとの思いで付いていった。
「おいシュウ!もっとのんびり釣り上がろうぜ」
私が問いかけると彼はハッと我に戻った顔をした。
「悪いなおっさん。つい釣り始めると集中しすぎて周りが全く見えなくなっちまうんだ。いいぞ今度はおっさんの番だ!」
その後も交互に釣りあがり修作と私は同じくらいのサイズと数のヤマメやイワナを釣り上げた。
「おっさん、そろそろ帰るぞ!それから今日は勝負の日じゃないから俺は少し手を抜いてやったんだぜ」
「はいはい。それはどうも」
どうしてか分からないが、いつしか私は無愛想で口の悪いこの青年に少しずつ魅かれていた。

 旅館に戻り、またのんびり露天風呂に浸かり夕食を取りはじめたところに修作が現れた。
「おっさん、明日は幽閉渓谷に行く」
「幽閉渓谷!?それはまた怖そうな名前だな」
「ああ。そこは夏でも寒いくらいなんだ。そこに大イワナがいる。明日の勝負はそのイワナ釣りだ!」
「はいはい分かりましたよ。しかし条件がある。もし俺が勝ったらお爺さんのためにもっとちゃんとお客さんに接し、 きちんと仕事を手伝うこと。いくらなんでもその言葉使いや無愛想ではお爺さんの代で旅館は閉めなきゃならなくなるぞ」
「ふん。分かったようなこと言うな!」
「約束しろよ!」
「・・・・・・分かった。しかしおっさんが負けたら釣り道具一式もらうぜ!」
「はいはい。いいですよ。あっそれから負けたらその不精髭も剃れよ。いい男が台無しだからな。じゃ明日宜しく」
 私は今までフライフィッシングを勝負事として捉えたことなどない。がこれも何かの因果と思いながらほろ酔い加減の中明日の修作との勝負のために念入りに道具やフライのチェックをし、その後眠りについた。

 翌朝、修作は4時に私の部屋へとやって来た。
「おっさん起きてるか?」
「ああ。今行くよ」
そしてまた二人で車に乗り込み宿を後にした。
「幽閉渓谷への行き方教えてくれ」
「ああ、昨日行った川より更に北の山を越えたところにある」
「そうか」
修作の案内に従い二つの山を越えることに。
 しかし峠道は曲がりくねり運転する私にとってかなり神経をすり減らすことと成った。(これはハンデだ)と心の中で 思ったが修作に言ったところで「おっさん勝負する前から言い訳かよ」
などと言われるに決まっている。
そんな事を考えている時、
「この辺で止めてくれ」
「えっ。何処にも川なんて見当たらないが・・・・」
「ここから徒歩だ」
「はいはい」
私と修作は車を止め釣り支度をし森の中へと歩き出した。
その道のりはかなり険しいものだった。日の当たらない暗い大きな森をひたすら歩くのだがすべて獣道である。
シダなどが足に絡みつき歩き難い。こんな場所でも修作は素足だ。しかも歩くのが非常に早い。
「おいシュウ、もっとゆっくり歩いてくれよ」
「バカ言うな!のんびり歩いていたら熊にこちらの匂いを嗅ぎつけられるじゃないか」
「はいはい。分かりましたよ」
修作が軽装なのは、よくこんな場所を歩くためのものなのかと思えてきた。
とてもウエーダーを履き重いベストを着込んでいては体力がもたない。

 その後かなりの時間、森を歩きやっと川のせせらぐ音が聞こえ始めた。
「おっさん、最後の難関がこの先にあるからな」
「最後の難関!?」
「ああ。川に下りるには急斜面を下りなければ成らない。俺がロープで下りられるようにするから安心しな」
しばらく行くと川が見えた。修作の言うようにロープ無しでは下りれそうにない急斜面だ。
彼はずた袋の中からロープを取り出し慣れた手つきで太い木に結んだ。
そして20mほどの急斜面を少しずつ下りやっと川に到着した。
「さあ、おっさん、握り飯食って少し休んだら勝負だ!」
「はいはい」
おにぎりを三つ食べお茶を飲み休憩したら疲れが少し和らいだ。
「おっさん、川はこのすぐ上で二つに分かれている。右か左かどっちか選べ」
「いいのか、俺が選んで」
「ああ。いい。俺はどっちでも勝つからな」
「あっそう。じゃ右の流にさせてもらおうかな」
「勝負時間は3時間だ。一番でかい奴を川の流れの脇に石で囲い入れておく。それで後で二人で確認する。
それでいいか?」
「はいはい」
二人はそれぞれ左右の流れに分かれた。
それにしてもこの川は木がびっしりと両側にに生い茂り日の光はほとんど届かない。そのせいか空気は冷たい。
が流れは大きなイワナがいそうな予感をさせるものだった。
早速、ティペットの先端に少し大きめのドライフライを結び釣りあがってみたものの、釣れるのは20センチにも満たないイワナばかりだった。
「うーん・・・これではまずいな」
修作のことだ結構な大きさのイワナを釣り上げるに違いない。
少々型のいい程度では石の堰に入れるわけにもいかないだろう。
その後サイズアップをするためドライフライを諦めニンフに交換した。
それでも釣れるのは最大25センほどであった。
「ニンフでもダメか・・・」
少し集中力に欠け始めたので川原で休む事にした。
石の上に腰掛けて流れを見つめている時である。
「あの子を元の優しい素直な子に戻してあげてください」
川の流れの音に混ざりはっきりとは聞こえなかったが誰かが私にそう言った。
「誰ですか?」
思わず私は叫んでいた。が誰もいるはずはない。
「気のせいか・・・・・・」

 再び釣りあがっていくと大きな水音と共に、落差7〜8メートルほどの滝が現れた。
その滝の落ちる先は大きな淵に成っている。
どうやらこれ以上釣り上がるのは困難だ。
「仕方ない・・・・この淵に大物がいることを祈ろう」
そして私は滝から落ちる水で出来た白泡の辺りに大きめのストリーマーを投げた。
しばらく沈めリトリーブするとガツンと大きなアタリ、グングンとラインが引き込まれる。
「おおおお。来たか!大イワナ!」
私は心臓の鼓動が大きくなり興奮し緊張した。
慎重にリールでやり取りし淵の中をあちこち暴れまわるイワナをやっとライディングした。
それは60センチを越える今まで見たことのない綺麗な大イワナだった。
時はすでに釣り始めてから2時間半を経過している。
「おお 良い子だ。ちょっと狭いがここで待っててくれ」
私は逃げられないようにしっかりと石の堰を作り大イワナを入れ下流へと戻った。

 川の合流点に行くとすでに修作は戻っていた。
「おっさん、どうだった?俺はかなりいい型のイワナを釣り上げたぜ!50センチは越えている」
「そうか・・・・・俺のはそんなに大きくないかな・・・・・」
「そいか!じゃおっさんのから先に見に行こう」
二人は私の釣りあがった右の流れを上った。
歩く修作の横顔は勝利を確信し自信に満ち溢れている。
そしてさっきの大きな淵に到着した。
「シュウ!俺の釣ったイワナはそこの石の堰にいるよ」
その堰を覗き込んだ修作は私の方を振り返り始めて笑顔を見せ深々とおじぎをした。
その時・・・・・再び川の音に混ざりながらさっきの声が
「ありがとうございます」
と言った。